黒田長政の家紋一覧(4種)

黒田長政(くろだながまさ)が使用した家紋を一覧で紹介します。

黒田藤巴紋

黒田藤巴

黒田藤巴

黒田藤巴』は黒田家の定紋。黒田家は当初、「橘藤巴紋」を用いていたが、のちに意匠を分け、「藤巴」と「三つ橘」をそれぞれ家紋として用いるようになった。

黒田橘紋

黒田橘

黒田橘

黒田橘』は黒田家の替紋の一つ。黒田官兵衛が用いていた「橘藤巴紋」の意匠を分け、「藤巴」と「三つ橘」として用いるようになったうちの一つである。

永楽銭紋

永楽銭

永楽銭

永楽銭』は黒田勘兵衛が旗紋としていたものを、替紋のひとつに加えた。

黒餅紋

黒餅

黒餅

黒餅』は官兵衛が同じく秀吉の参謀であった竹中半兵衛より譲り受けたと伝わる。

黒田長政(1568-1623)

黒田長政(くろだながまさ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけて活躍した武将であり、大名。筑前国福岡藩初代藩主。父は黒田官兵衛(如水)

1568年、播磨姫路城に生まれた。父とともに豊臣秀吉に仕え、中国攻めや九州征伐などに従軍する。

その後、徳川家康に接近、関ヶ原の戦いでは東軍に属し、石田三成の身柄確保に関与するなどの功績を挙げた。この戦功により戦後、筑前一国約52万石を与えられ、福岡藩の初代藩主となる。

長政は福岡城を築き、城下町の整備を進めるなど藩政の基礎を固めた。また、父の知略とは対照的に武勇に優れた武将としても知られる。一方で、キリスト教に理解を示した時期もあったが、のちに幕府の方針に従い禁教へと転じた。1623年に没し、黒田家は以後も福岡藩主として続いていく。享年56歳。

長政は、戦国の武功と近世大名としての統治の双方を体現した人物である。

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