豊臣秀吉の家紋一覧(7種)

豊臣秀吉(とよとみひでよし)が使用した家紋を一覧で紹介します。

五七桐紋

五七桐

五七桐

五七桐紋』は、秀吉が豊臣の姓とともに天皇から拝領して使用するようになった家紋。

丸に五三桐紋

丸に五三桐

五三桐

五三桐』は、信長から使用を許されて使っていた、秀吉が武将時代の代表的な家紋。

太閤桐紋

太閤桐

太閤桐

太閤桐紋』は、五七桐を大胆にアレンジして使用した家紋。

太閤桐(2)紋

太閤桐(2)

太閤桐(2)

太閤桐紋(2)』は、五七桐を大胆にアレンジして使用した家紋。

太閤桐(3)紋

太閤桐(3)

太閤桐(3)

太閤桐紋(3)』は、五七桐を大胆にアレンジして使用した家紋。

太閤桐(4)紋

太閤桐(4)

太閤桐(4)

太閤桐紋(4)』は、五七桐を大胆にアレンジして使用した家紋。

立ち沢瀉紋

立ち沢瀉

立ち沢瀉

沢瀉紋』は、五三桐より前に、もしくは副紋として使用していたと思われる家紋。秀吉恩顧の武将たちの多くが沢瀉紋を秀吉より拝領していることからその使用が推測される。

豊臣秀吉(1537-1598)

豊臣秀吉(とよとみひでよし)は、戦国時代から安土桃山時代にかけて活躍した武将であり、天下統一を成し遂げた人物である。木下藤吉郎。羽柴秀吉としても知られている。弟に豊臣秀長、息子に秀頼、甥に秀次がいる。

1537年、尾張国中村に生まれ、農民出身から身を起こしたとされる。若年期には各地を放浪し、一時は今川氏家臣の松下之綱に仕えたとされる。その後、尾張に戻り織田信長に仕え、足軽から頭角を現し、調略や築城、兵站運用に優れた才能を発揮した。

とりわけ中国攻めにおいては毛利氏との交渉を進めつつ備中高松城を水攻めにより攻略し、その最中に本能寺の変の報を受けると、迅速に軍を引き返して山崎の戦いで明智光秀を討ち、信長の後継争いを制した。

その後、賤ヶ岳の戦いで柴田勝家を破り、さらに小牧・長久手の戦いで徳川家康と対峙しつつも最終的に和睦し、全国支配への道を固めた。

1585年には関白に就任し、豊臣姓を賜って政権の正統性を確立する。以後、九州征伐や小田原征伐を経て諸大名を服属させ、全国統一を達成した。

秀吉の統治は、刀狩令や太閤検地に象徴されるように、兵農分離と土地支配の明確化を進めた点に特徴がある。これにより中世的な身分秩序は再編され、近世社会の基盤が形成された。また、朝鮮出兵(文禄・慶長の役)を行い対外進出を試みたが、長期化と国内の負担増大を招き、政権の不安定化を招く要因ともなった。1598年に死去した後、幼少の秀頼を支える体制は維持できず、やがて徳川家康の台頭を許すこととなる。享年62歳。

秀吉はその出自の低さから天下人にまで上り詰めた稀有な存在であり、その政治改革と統一事業は日本史に大きな転換点をもたらした。

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