石田三成の家紋一覧(4種)

石田三成(いしだみつなり)が使用した家紋を一覧で紹介します。

大一大万大吉紋

大一大万大吉

大一大万大吉

大一大万大吉紋』は旗印として使用し、その後、家紋としても使うようになった。鎌倉時代の武士で石田為久が同じ紋を使用しており、三成はこの一族か、あるいはあやかって使ったものと思われる。

九曜紋

九曜

九曜

九曜紋』は、石田家の家紋として使用していたとみられるが、詳細は不明。



丸に三つ星紋

丸に三つ星

丸に三つ星

丸に三つ星紋』は石田三成が所有していたと伝わる甲冑や旗印に見られる紋。

下り藤に石文字紋

下り藤に石文字

下り藤に石文字

下り藤に石文字紋』は関ケ原合戦屏風図に石田三成の旗印としてみ見られる紋。

石田三成(1560-1600)

猫武将:石田三成

石田三成は、安土桃山時代の武将・大名。豊臣家家臣。佐和山城主。豊臣政権の五奉行の一人。近江国坂田郡石田村(現在の滋賀県長浜市石田町)で誕生した。幼名は佐吉。

若くして豊臣秀吉に仕え、その才能を認められる。秀吉の死後、五大老の一人として政治の中枢に立ち、豊臣家の存続を図った。

その後、徳川家康との対立が深まり1600年の関ヶ原の戦いで西軍として対峙。しかし、裏切りや戦況の不利さから敗北。戦後、捕らえられ、京都で処刑された。彼の死は、豊臣政権の終焉と、徳川幕府の確立を象徴する出来事である。享年40歳。

石田三成は長い徳川史観の中で悪く描かれることが多い人物であったが、近年は研究が進み評価が変わってきている。

参考文献

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