黒田官兵衛の家紋一覧(4種)
黒田官兵衛(くろだかんべえ)が使用した家紋を一覧で紹介します。
黒田藤巴
『黒田藤巴』は黒田家の定紋。黒田家は当初、「橘藤巴紋」を用いていたが、のちに意匠を分け、「藤巴」と「三つ橘」をそれぞれ家紋として用いるようになった。
橘藤巴
『橘藤巴』は、小寺氏の独占家紋。官兵衛が小寺を名乗っていた頃はもちろん、黒田になっても使用しており、当初は黒田家の定紋であった。
永楽銭
『永楽銭』は黒田官兵衛が旗紋としていたものを、替紋のひとつに加えた。
黒餅
『黒餅』は同じく秀吉の参謀であった竹中半兵衛より譲り受けたと伝わる。
黒田官兵衛(1546-1604)
黒田官兵衛(くろだかんべえ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけて活躍した武将・軍師であり、卓越した戦略眼で知られる。
1546年に播磨国に生まれ、はじめは小寺氏に仕えたが、のちに織田信長の勢力下で頭角を現し、豊臣秀吉の参謀として重用された。中国攻めにおいては毛利氏との交渉や戦略立案に関与し、備中高松城の水攻めなどにその手腕が発揮された。
一方で、荒木村重の反乱に際しては説得に赴いた際に幽閉され、長期間の監禁生活を強いられたが、のちに救出されて再び秀吉に仕えた。この経験から慎重で現実的な判断力を持つ人物として知られる。
関ヶ原の戦いの際には出家して如水と号し、九州において独自に軍を動かして勢力拡大を図ったが、大局的には徳川家康に与している。
晩年は筑前福岡藩の基礎を築き、その子の黒田長政に家督を譲った。1604年に没する。享年59歳。
官兵衛は知略に優れた軍師として後世に高く評価される一方、天下取りの野心を秘めていたとも語られるなど、多面的な人物像を持つ戦国武将である。
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