明智光秀の家紋一覧(4種)

明智光秀(あけちみつひで)が使用した家紋を一覧で紹介します。

水色桔梗紋

水色桔梗

水色桔梗

水色桔梗紋』は明智光秀の家紋。特定の色をもつ珍しい家紋。他の土岐氏の支流も使っている。

桔梗紋

桔梗

桔梗

桔梗紋』は美濃源氏土岐氏の家紋。明智氏は土岐氏一族。ちなみに『土岐桔梗』は江戸中期からなので光秀は使っていない。

蔭桔梗紋

蔭桔梗

蔭桔梗

蔭桔梗紋』は明智家の家紋の一つ。系図によっては明智の家紋とある。

丸に橘紋

丸に橘

丸に橘

丸に橘紋』は明智家の家紋の一つ。系図によっては明智の家紋とある。

明智光秀(1528-1582)

明智光秀(あけち みつひで)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。主君・織田信長を謀殺した「本能寺の変」の首謀者として広く知られている。

光秀は永禄年間に信長に仕え始め、美濃・伊勢・近江・播磨の戦で数々の武功を上げ、それにより信長から丹波一国を拝領、独立大名となった。

また、同時に丹後の細川藤孝、大和の筒井順慶などが寄騎として配属され、これら寄騎の所領を合わせると240万石ほどになり畿内方面の大大名となる。

1582年、光秀は京都の本能寺を急襲し、宿泊中だった信長を討ち取った。いわゆる「本能寺の変」である。光秀はその後、京都を掌握、安土城に入城した。

しかし、中国方面から引き換えしてきた羽柴秀吉と激突、光秀は「山崎の戦い」で敗北。その後、逃亡中に討たれ、明智家は滅びた。

光秀が何故このような行動に出たのかは、未だに歴史の中の謎の一つである。しかし、彼の行動は戦国時代の終焉と安土桃山時代の始まりを加速させる一因となった。

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