徳川秀忠の家紋一覧(2種)
徳川秀忠(とくがわひでただ)が使用した家紋を一覧で紹介します。
三つ葉葵
『三つ葉葵紋』は徳川家の家紋。もともとは松平氏の家紋であり、賀茂神社の有力な氏子であったことから、その神紋である葵紋を用いたとされる。また、出身地である松平郷の近くに巴川が流れていたことにちなみ、葵と巴の意匠を組み合わせた紋を用いるようになったという。
徳川葵
『徳川葵紋』は徳川家の家紋。ただし、徳川葵は江戸中期以降の徳川家の定紋であり、秀忠や秀忠などは使用していない。葵紋は将軍家の家紋ということで権威が高まり、その使用が非常に厳しく制限されていた。
徳川秀忠(1579-1632)
徳川秀忠(とくがわひでただ)は、戦国時代から江戸時代初期の日本の武将。江戸幕府第2代将軍であり、初代将軍徳川家康の三男として1579年に生まれた。 秀忠が生まれてすぐに長男の信康が切腹し、次男の秀康が豊臣秀吉に養子に出されたため実質的な世継ぎとして処遇された。
関ヶ原の戦いでは中山道を進軍したが、真田昌幸・幸村父子の上田城攻めに手間取り、本戦に遅参したことで知られる。
しかし家康の後継としての地位は揺らがず、1605年に将軍職を譲られて第2代将軍に就任した。その後も大御所となった家康とともに政務を行い、幕府体制の整備を進める。
1614年・1615年の大坂の陣では豊臣氏の滅亡に関与し、徳川政権の安定化に大きく寄与した。
秀忠は武功よりも統治能力に長け、武家諸法度の整備や大名統制を進め、幕藩体制の基礎を固めた人物である。享年54歳。
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