真田昌幸の家紋一覧(3種)
真田昌幸(さなだまさゆき)が使用した家紋を一覧で紹介します。
真田六文銭
『真田六文銭紋』は別に『六連銭』とも。六連銭はもともと本家筋の滋野・海野氏一族が多く用いる家紋であり、真田昌幸の父、幸隆のときに始まったといわれる。
洲浜
『洲浜紋』は本家筋の滋野・海野氏からの使用紋。真田氏の替紋。慶事に使用される洲浜盆に因む家紋。
結び雁金
『結び雁金紋』は本家筋の滋野・海野氏からの使用紋。真田氏の替紋。野鳥の雁を図案化した家紋。
真田昌幸(1547-1611)
真田昌幸(さなだまさゆき)は、戦国時代に活躍した武将、大名。信濃国小県郡の国衆、真田氏の当主。子に真田信之、信繁(幸村)らがいる。
真田氏は小規模な地方豪族であったが、昌幸のたくみな外交戦略で天正壬午の乱を生き残り、最終的には豊臣秀吉のもとで大名となった。
関ヶ原の戦いでは西軍として参戦。第二次上田合戦では勝利しながら、西軍の敗北により降伏。昌幸と信繁は九度山へ配流となる。慶長16年(1611年)、九度山で病死。
昌幸はその智謀と策略、戦での統率力と強かさから同時代の人から「表裏比興の者」と評され、また、徳川家康は大坂の陣に先立ち、真田参戦の報に「親の方か?子の方か?」と震えながら訊ねたとの逸話を残した。
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