織田信忠の家紋一覧(7種)
織田信忠(おだのぶただ)が使用した家紋を一覧で紹介します。
永楽銭
『永楽銭紋』は信長の旗紋の一つ。楽市楽座など経済を重視する信長らしい家紋。信忠も織田家嫡男として使用している。
無文字
『無文字紋』は信長の旗紋の一つ。無の字は禅の思想では「無心」を表す。信忠も織田家嫡男として、そのまま使用している。
五三桐
『五三桐紋』は信長が足利義昭を報じて上洛した際に義昭より賜った家紋。名誉紋。信忠も使用している。
丸に二つ引き
『丸に二つ引き紋』も信長が足利義昭を報じて上洛した際に義昭より賜った。名誉紋。
十六葉菊
『十六葉菊紋』は、正親町天皇から拝領したもの。名誉紋。
織田信忠(1557-1582)
織田信忠(おだ のぶなが)は、戦国時代の武将であり、織田信長の嫡男。
1557年に尾張国に生まれた。若年より父の後継者として重用され、各地の戦に従軍して武将としての経験を積む。石山合戦や岩村城の戦い、伊勢長島攻め、長篠の戦いなどに参加し、織田家中での地位を確立した。
1575年、信長から家督を譲られ、岐阜城主として、美濃・尾張両国を支配することになった。
1582年には織田軍の総大将として武田領へと進攻、武田氏を滅亡させ、名実ともに織田家の後継者としての立場を強める。
同年の本能寺の変では、京都の二条御所に在陣していたが、明智光秀の急襲を受ける。奮戦するも劣勢となり、最終的に自害して果てた。享年26。
信忠は武勇と統率力を兼ね備えた有能な後継者と評価されることが多く、その死は織田政権に大きな空白を生み、以後の政権争いに影響を与えた。もし存命であれば、織田政権の行方は大きく異なっていたとも指摘される。
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