池田輝政の家紋一覧(5種)

池田輝政(いけだてるまさ)が使用した家紋を一覧で紹介します。

揚羽蝶紋

揚羽蝶

揚羽蝶

揚羽蝶紋』(泊蝶)は父・恒興の代に、織田信長の父・織田信秀より拝領したと伝わる。

泊蝶紋

泊蝶

泊蝶

泊蝶紋』は池田家草創期の家紋。播磨国姫路藩ではこの紋が池田家の定紋だった。

備前蝶紋

備前蝶

備前蝶

備前蝶紋』は江戸時代の備前岡山藩池田家の家紋で、輝政の孫の光政の代より定紋となる。

池田竜胆紋

池田竜胆

池田竜胆

池田竜胆紋』は江戸時代の備前岡山藩池田家の家紋のひとつ。

池田守紋

池田守

池田守

池田守紋』は江戸時代の備前岡山藩池田家の家紋のひとつ。

因州守紋

因州守

池田輝政(1565-1613)

池田輝政(いけだ てるまさ)は、安土桃山時代から江戸時代初期の武将・大名。播磨姫路藩初代藩主。織田信長の重臣・池田恒興の次男。継室は、徳川家康の次女・督姫。

元服後、信長の近習となり、天正元年(1573年)、母方の伯父・荒尾善久の養子となり木田城主に。有岡城の戦い、花熊城の戦いなどで活躍。

天正12年(1584年)、小牧・長久手の戦いにおいて、父・恒興と兄・元助が討死したため、家督を相続。美濃大垣城主13万石を領した。紀州征伐や富山の役(佐々成政征伐)、九州平定など秀吉の合戦の大半に従軍。

秀吉没後は家康に接近。関ヶ原の戦いでは、東軍として活躍。毛利秀元や吉川広家ら南宮山の西軍の抑えを務めた。戦後、岐阜城攻略の功績から播磨姫路52万石に加増移封され、初代姫路藩主となる。

慶長18年(1613年)1月25日、輝政は姫路にて死去。享年50歳。家督は長男(嫡男)の利隆が継いだ。

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