池田恒興の家紋一覧(2種)

池田恒興(いけだつねおき)が使用した家紋を一覧で紹介します。

揚羽蝶紋

揚羽蝶

揚羽蝶

揚羽蝶紋』(泊蝶)は家伝によれば、信長の父・織田信秀より拝領したと伝わる。

泊蝶紋

泊蝶

泊蝶

泊蝶紋』は池田家草創期の家紋。備前岡山藩に移るまでは、池田家の定紋だった。

池田恒興(1535-1584)

池田恒興(いけだ つねおき)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。清洲会議に出席した4人の織田家重臣の一人。子に元助、輝政などがいる。信長とは乳兄弟の関係にあり、滝川一益の父方の従弟でもある。

尾張国犬山城主、摂津国兵庫城主、美濃国大垣城主などを歴任、通称は勝三郎。紀伊守と称した。

幼少から信長の小姓として仕え、桶狭間の戦いや美濃攻略などで活躍。姉川の戦いで活躍したことにより、犬山城主となった。

天正10年(1582年)、本能寺の変が起こり信長が明智光秀に討たれたが、山崎の戦いで羽柴秀吉とともに光秀を破り、織田家の宿老に列した。

織田家の後継を巡る清洲会議では、柴田勝家らに対抗して、秀吉・丹羽長秀と共に信長嫡孫の三法師(織田秀信)を擁立。領地の再分配では摂津国大坂・尼崎・兵庫12万石を獲得した。

天正12年(1584年)、徳川家康・織田信雄との小牧・長久手の戦いでは秀吉方として参戦。しかし、家康軍との戦いで長男元助、娘婿の森長可と共に戦死した。享年49歳。池田家の家督は次男の輝政が相続した。

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