豊臣秀頼の家紋一覧(5種)
豊臣秀頼(とよとみひでより)が使用した家紋を一覧で紹介します。
五七桐
『五七桐紋』は、秀吉が豊臣の姓とともに天皇から拝領して使用するようになった家紋。秀頼も豊臣家の家紋として引き続き使用。
太閤桐
『太閤桐紋』は、豊臣家の家紋として拝領した五七桐を大胆にアレンジして使用した家紋。秀頼も豊臣家の家紋として引き続き使用。
太閤桐(2)
『太閤桐紋(2)』は、五七桐を大胆にアレンジして使用した家紋。
太閤桐(3)
『太閤桐紋(3)』は、五七桐を大胆にアレンジして使用した家紋。
太閤桐(4)
『太閤桐紋(4)』は、五七桐を大胆にアレンジして使用した家紋。
豊臣秀頼(1593-1615)
豊臣秀頼(とよとみひでより)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての人物。豊臣秀吉の嫡男として1593年に生まれる。
幼少で父を失い、豊臣政権の後継者とされたが、実権は五大老・五奉行による合議体制のもとに置かれ、その中で徳川家康が台頭していく。
関ヶ原の戦い以後、豊臣家は次第に政治的影響力を失うが、大坂城を拠点としてなお権威を保った。
1614年の大坂冬の陣、続く1615年の夏の陣で徳川方と対決し、最終的に大坂城は落城。秀頼は母の淀殿とともに自害し、ここに豊臣家は滅亡した。享年23歳。
秀頼は自らの政治的主導権を十分に発揮する機会を持たなかったが、その存在は豊臣政権の正統性を象徴するものであり、その死は戦国時代の終焉と徳川政権の確立を決定づけた。
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