高橋紹運の家紋一覧(2種)
高橋紹運(たかはしじょううん)が使用した家紋を一覧で紹介します。
抱き花杏葉
『抱き花杏葉紋』は、同紋衆として大友家より使用を許された家紋。『大友花杏葉』とも呼ばれる。
七宝に花菱
『七宝に花菱』は高橋家の家紋で、跡を継いだ高橋統増(立花直次)の系統でも替紋として残る。
高橋紹運(1548-1586)
高橋紹運(たかはし じょううん)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将であり、大友氏の家臣。立花宗茂、高橋統増(立花直次)の父。本名は高橋鎮種(たかはし しげまさ)で、「紹運」というのは出家後の法号。
1548年に大友氏の重臣吉弘鑑理の子として生まれ、はじめ吉弘鎮理と名乗る。後に高橋家の名跡を継ぎ、高橋鎮種と名を改めた。
立花道雪と共に大友家の重鎮として数々の戦いに参戦し、その勇猛果敢な戦いぶりから道雪の「雷神」に対して「風神」とも称された。
紹運の最も有名な戦いの一つは、1586年の岩屋城の戦いである。この戦いで紹運はわずかな兵力で島津軍の大軍を相手に奮戦し、半月に及ぶ戦いの末、敵兵多数を道連れにし玉砕した。
最終的に紹運は戦死し岩屋城は落城したが、その忠義と奮戦ぶりは語り継がれ、後に豊臣秀吉は「紹運こそこの乱世に咲いた華(乱世の華)である」と評している。享年39。
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