立花宗茂の家紋一覧(8種)

立花宗茂(たちばなむねしげ)が使用した家紋を一覧で紹介します。

中結祇園守紋

中結祇園守

中結祇園守

中結祇園守』は、宗茂が使用した家紋。『旧柳川藩志』によれば宗茂が夢の中で祇園神のお告げを受け家紋としたと伝わる。

柳川守紋

柳川守

柳川守

柳川守紋』は柳川藩立花氏の独占紋。江戸中期以降の家紋ということ宗茂自身は使用していない。

祇園守崩し紋

祇園守崩し

祇園守崩し

祇園守崩し紋』は宗茂の肖像画に見られる家紋。歴代の柳川藩藩主も様々な形の祇園守り崩しを用いている。

抱き杏葉紋

抱き杏葉

抱き杏葉

抱き杏葉紋』は宗茂の甲冑や軍扇などに見られる家紋。祇園守をメインとする時期にも併用して使用されている。

抱き花杏葉紋

抱き花杏葉

抱き花杏葉

抱き花杏葉紋』は、宗茂が仕えていた大友家より使用を許された家紋。大友花杏葉とも呼ばれる。

抱き花杏葉紋

抱き花杏葉

抱き花杏葉

抱き花杏葉紋』は宗茂の養父・立花道雪、正妻・立花誾千代も使用していた家紋で、軍旗などに見られる。

立花杏葉紋

立花杏葉

立花杏葉

立花葉紋』は柳川藩立花氏の独占紋。柳川藩二代目藩主の立花忠茂からの紋なので宗茂自身は使用していない。

七宝に花菱紋

七宝に花菱

七宝に花菱

七宝に花菱紋』は宗茂の実父・高橋紹運の氏族高橋家の家紋の一つ。

立花宗茂(1567-1643)

立花宗茂(たちばな むねしげ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将であり、筑後国柳川藩の初代藩主。高橋紹運の長子で初名は高橋統虎。立花道雪の養子として立花氏を継ぎ、のちに立花宗茂と改名した。

豊臣秀吉の九州征伐の際には大いに活躍し「鎮西無双」と絶賛され、豊臣家の直臣となる。文禄・慶長の役では、その勇猛さと戦術の巧みさで抜群の戦功を挙げ有名を馳せた。

1600年の関ヶ原の戦いでは西軍に属し、個人では奮闘するも敗北。柳川藩は改易され浪人となる。その器量を惜しんだ加藤清正や前田利長から家臣に誘われるが宗茂は謝絶し、浪人として過ごす。

1604年、本多忠勝の推挙で徳川家康に召し出され、幕府の御書院番頭となると、1606年には陸奥棚倉にて1万石を与えられて大名として復帰し、1620年には旧領の柳川藩に戻ることとなった。

宗茂は藩政においても優れた手腕を発揮し、領内の治安を安定させ、経済の発展にも尽力。特に治水事業や農業振興に力を入れ、柳川藩の繁栄の基礎を築いた。 1643年、江戸の藩邸にて死去。享年76歳。

▼武将家紋のダウンロード

このページで紹介している「戦国武将215名の家紋詰め合わせ」をオリジナルショップにて1000円にてダウンロード販売しております。
※ただし「仙台笹」は含みません。

黒白家紋の透過png(900px x 900px)の詰め合わせです。

215名の武将の家紋詰め合わせ
BASEで購入する(1,000円)

武将の家紋詰め合わせ(ベクターデータ)
ベクターデータ準備中




 SNSで家紋をシェア

 

家紋特集

さまざまな形の家紋の特集です。