細川藤孝の家紋一覧(4種)

細川藤孝(ほそかわふじたか)が使用した家紋を一覧で紹介します。

松毬菱

松毬紋』は和泉上守護細川氏の家紋、独占紋。家祖の細川有頼の肖像に据えられた家紋で他の使用家はみられない。

九曜

九曜紋』は細川氏の家紋。奥州細川家に忠興が養子に入ったあとから藤孝も使用するようになった。

丸に二つ引き

丸に二つ引き』は室町幕府13代将軍・足利義輝より拝領した家紋。幕府が滅びるまでは使用しなかった。

五三桐

五三桐』は室町幕府13代将軍・足利義輝より拝領した家紋。幕府が滅びるまでは使用しなかった。

細川藤孝(1534-1610)

細川藤孝(ほそかわふじたか)は、戦国時代から安土桃山時代にかけて活躍した武将、大名。二条派正統の三条西実枝から古今伝授を受けた当代一流の文化人。子には小倉藩初代藩主の細川忠興らがいる。

藤孝は初め室町幕府13代将軍・足利義輝に仕え、その死後、織田信長の協力のもと足利義昭の擁立に尽力、義昭が京都を追われると信長に従い丹後国宮津の大名となった。

1582年、本能寺の変が勃発。藤孝は明智光秀の誘いを断り剃髪、雅号を幽斎と改めて丹後田辺城に隠居。その後、豊臣秀吉に許されて重要な地位を確保し続けた。

関ヶ原の戦いで息子の忠興が活躍。戦後、豊前国小倉藩初代藩主となると、幽斎は京都吉田で悠々自適な晩年を送った。享年77。

藤孝は、剣術、弓術、馬術など武芸百般を極め、和歌・茶道・連歌・蹴鞠などの文芸、さらに囲碁・料理・猿楽などにも造詣が深く、当代随一の武人・教養人であった。

和泉守護細川氏の養子に入ったと考えられていたが、淡路守護細川氏につながる系統を継いだと考える説が近年有力になっている。

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