上杉景勝の家紋一覧(6種)

上杉景勝(うえすぎかげかつ)が使用した家紋を一覧で紹介します。

竹に雀

竹に雀紋』は関東管領・上杉家の家紋。上杉氏が藤原北家勧修寺家の『竹に雀』より雀を1つ減らした意匠を用いた。別名『笹竹丸に雀』とも。

竹に雀

竹に雀紋』は少し後の時代の上杉家の家紋。当初の『竹に雀』より徐々に笹の葉の数が減って『上杉笹』につながる家紋。別名『竹に二羽飛び雀』。

上杉笹

上杉笹紋』は出羽米沢藩上杉家の家紋。ただし、この家紋自体は江戸中期の設立のため景勝は使用していない。

五七桐

五七桐紋』は謙信が上洛した際に天皇から下賜された家紋を引き継いだ。後の『上杉桐』につながる家紋。

十六葉菊

十六葉菊紋』も謙信が上洛した際に天皇から下賜された家紋を引き継いだ。

上杉景勝(1556-1623)

上杉景勝(うえすぎ かげかつ)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての大名。山内上杉家17代目。上杉謙信の養子となり後を継いだ。豊臣政権の五大老の一人。米沢藩の初代藩主。

天正6年、謙信が死去すると謙信の養子の一人、上杉景虎(北条氏康の実子)と対立(御館の乱)、最終的には勝利を収める。上杉家の当主となると越後国を中心に領土を拡大、勢力を強化した。

その後、豊臣秀吉に接近、後に五大老となり会津120万国に加増移封される。

秀吉の死後、関ヶ原の戦いでは西軍に与したが、西軍は敗北。戦後、所領を没収されて会津120万石から米沢30万石に減封となった。

移封後は領地経営に尽力し、景勝は米沢藩の基礎を築いた。1623年に死去。享年69。石高の変遷はあったものの、米沢藩上杉家は幕末まで続いた。

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