北条氏直の家紋一覧(3種)

北条氏直(ほうじょううじなお)が使用した家紋を一覧で紹介します。

北条鱗

北条鱗紋』は江戸時代の後北条家の独占紋。鎌倉執権北条氏の『三つ鱗』より上下が潰れた二等辺三角形の形状となる。

三つ鱗

三つ鱗紋』は父祖より譲り受けた家紋。氏直も『北条鱗』ほど変形していない通常の『三つ鱗』も使用していた。

北条対い蝶

北条対い蝶紋』は北条早雲の出自である伊勢氏の家紋に由来しており、後北条家の替紋。

北条氏直(1562-1591)

北条氏直(ほうじょう うじなお)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての相模国の戦国大名。後北条氏の第5代当主。父・北条氏政と共に後北条氏の最大版図を築き上げた。母は武田信玄の娘・黄梅院。正妻は徳川家康の娘・督姫。

天正8年(1580年)に氏政の隠居に伴い、家督を継ぎ、北条家の当主となる。その後、天正10年(1582年)には、武田氏が滅亡。さらに、信長が本能寺の変で亡くなると、氏直は滝川一益を破り上野・信濃の大部分を手中に収めた。

甲斐国でも武田氏の遺領を巡って家康との対立が激化するも最終的には和睦・同盟を結ぶ。しかし、豊臣秀吉の関東惣無事令に違反する事件が発生し、関係は事実上破綻した。

特天正18年(1590年)、小田原征伐が始まり、氏直は小田原城での籠城戦を選択。しかし、秀吉の大軍の前に3ヶ月の籠城の後、降伏。氏直は助命され、紀伊国の高野山に謹慎を命じられた。

その後、豊臣家の大名として復帰する予定だったが、天正19年に氏直は病死。享年30歳。氏直の死後、後北条氏は河内狭山藩主として幕末まで存続した。

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