伊達政宗の家紋一覧(10種)
伊達政宗(だてまさむね)が使用した家紋を一覧で紹介します。
丸の内に竪三つ引き
『丸の内に竪三つ引き紋』は伊達家の初代朝宗が源頼朝より拝領して以来、定紋として長く使用された家紋。
丸の内にしない横三つ引き
『丸の内にしない横三つ引き紋』は政宗の時代の伊達宗家の常用紋。瑞巌寺の政宗像にはこの紋と『竹に雀紋』が見られる
仙台笹
『仙台笹紋』といえば伊達家の独占紋として有名だが、この家紋は江戸中期からの定紋。政宗の時代は『竹に雀紋』を使用していた。
竹に雀
『竹に雀紋』はもとは越後守護上杉家より政宗の大叔父、伊達実元(亘理伊達家の家祖)が引き出物として拝領した家紋。のちに、宗家の伊達家にも使用が認めらた。
九曜
『九曜紋』は政宗が仲が良かった細川忠興に所望し使用するようになった家紋。
雪輪に薄
『雪輪に薄紋』は伊達家の独占紋であり、政宗の代から使用されている。
八つ薺
『八つ薺紋』も初代朝宗の頃より使用されている家紋。薺は春の七草の一つで長寿や無病息災の縁起の良い植物で家紋としても好まれた。
伊達鴛鴦
『伊達鴛鴦紋』は政宗が親交のあった、ときの関白・近衛信尋から拝領した家紋。元は『鴛鴦の丸』と呼ばれる。
十六葉菊
『十六葉菊紋』は政宗が上洛した際に豊臣秀吉から拝領した家紋。(天皇より下賜されたとの説もある)
五七桐
『五七桐紋』は政宗が上洛した際に豊臣秀吉から拝領した家紋。
伊達政宗(1567-1636)
伊達 政宗(だて まさむね)は、出羽国と陸奥国の戦国大名であり伊達氏の第17代当主。陸奥仙台藩の初代藩主。隻眼から「独眼竜」という異名を持つ。
天正12年、父・輝宗の隠居に伴い家督を相続。佐竹氏や他の南奥州諸侯との和議を進め、一時的に平和を回復。しかし、蘆名氏との対立は続き、天正15年の豊臣秀吉の惣無事令を無視して戦を続行。北方の大崎氏との戦いや、南方の蘆名氏・相馬氏との戦いが続き、天正17年には会津の蘆名義広との戦いで勝利し、蘆名氏を滅亡させ奥州に覇を唱えた。
しかし、天正18年、小田原合戦に参陣し秀吉に恭順することになる。
秀吉死後の関ヶ原の戦いでは東軍として参戦。戦後は徳川家康から所領を安堵され陸奥仙台藩62万石の初代藩主となった。
江戸時代に入り仙台藩の基盤を固め、藩政の確立や城下町の発展に尽力し、文化・学問の振興にも熱心であった。寛永13年5月24日に死去。享年70歳。
政宗は戦略と外交手腕で伊達氏の最大版図を築き武将としての評価も高いが、文化人としても一流で、茶道、芸事、料理、建築、美術などの分野でも評価されている。ちなみに、派手な装いを好み着こなす人を「伊達者(だてもの)」と呼ぶようになったのは政宗の上洛時の軍装の派手さに由来する。
参考文献
- 『見聞諸家紋』 室町時代 (新日本古典籍データベースより)
- 『武家の家紋と旗印』 高橋 賢一 1973 秋田書店
- 『家紋・旗本八万騎』 高橋 賢一 1986 秋田書店
- 『武将と家紋』 インデックス編集部 2010 イースト・プレス
- 『日本の名字・家紋大事典 名字大事典2巻+家紋大事典1巻+ビジュアル解説本1巻』 2017 ユーキャン
- 『【新装版】戦国武将100家紋・旗・馬印FILE』大野信長 2016 学研
- 『最後の藩主と姫君たちの明治 ムック』 2020 ダイアプレス
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