加藤清正の家紋一覧(4種)

加藤清正(かとうきよまさ)が使用した家紋を一覧で紹介します。

蛇の目紋

蛇の目

蛇の目

蛇の目紋』は清正が初期から使用していた家紋で、視認性が高いことから武具を初め多くの品に使われている。

桔梗紋

桔梗

桔梗

桔梗紋』は讃岐の旧族尾藤氏の家紋で、秀吉の名により肥後入封にあたり襲用したと伝わる。

桔梗紋

桔梗

桔梗

桔梗紋』は、通常の桔梗紋を少しアレンジしたもので、衣服など戦場以外ではこちらの紋を使っていた。

折墨紋

折墨

折墨

折墨紋』は秀吉より拝領した家紋で、清正の独占紋。調度品などで見られる。

加藤清正(1562-1611)

加藤清正(かとう きよまさ)は安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将・大名。豊臣秀吉の子飼いの家臣。通称は虎之助。肥後熊本藩初代藩主。

若き日から武勇に優れ、秀吉のもとで各地を転戦。賤ヶ岳の戦いでは、七本槍の一人として武名を上げる。その後も武功を重ね、肥後北半国の大名へ。文禄の役や慶長の役でも、その武勇と策略で多くの戦を勝利に導いた。

秀吉の死後、関ヶ原の戦いでは、徳川家康の東軍につく。戦後、肥後国一国と豊後国の一部を領有することとなり、肥後熊本藩主としての地位を確立した。

熊本藩主としては、治水工事や新田開発を積極的に推進し、熊本地域の発展に大きく寄与。特に、熊本城の築城は彼の代表的な業績として知られている。

慶長16年(1611年)二条城における家康と豊臣秀頼との会見を斡旋した帰国途中の船内で発病、熊本で死去した。享年50歳。熊本では現代でも「清正公」として尊敬と親しみを込めて称されている。

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